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January 15, 2010

自壊する民主主義

ネット上のニュースを見ていて、日本の民主主義の行く末について暗澹たる気持ちにさせられた。一つは鳩山総理の下記の発言(産経新聞からの引用)である。

鳩山由紀夫首相は15日午前、民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体をめぐる疑惑に関し、「国民の皆さんは『またか』という思いを感じていると思う」とした上で、「私自身の問題(資金管理団体をめぐる偽装献金問題)もあったが、総選挙の前から出ていた話であり、こういう問題があるにもかかわらず、民主党を国民の皆さんの多くが選んだ」と語った。

もう一つは13日夜、まさに小沢事務所に対する強制捜査と同じ時間帯に開催されていた民主党愛知県連の新春の集いでの小沢幹事長の発言である。

「最後になりますけども、わたくしごとで若干、おわびをしたいと思います。昨年の春に、突然の、私ども予想もしなかった事態になって、私の政治団体のことで皆さんに大変ご迷惑をかけました。しかし、私どもは、決して! このような問題で、法に触れるようなことを致したつもりはありません。そのことは国民の皆さんも、私は本当に理解していることと思います」(拍手)「ですからこそ! 政権をわれわれに与えてくれたんじゃないでしょうか!」(拍手と歓声があがる)

二人の発言に共通するのは、国民は民主党最高幹部の政治資金問題に違法性がないと理解したうえで総選挙において民主党に「権力」を与えたのだから、今、彼らが保持している権力は「正当」なものであると強弁している点である。これは、民主的な選挙に勝利し、権力を握ったのだから、自分たちは正しいという主張にほかならない。

経営学者であったP.F.ドラッカーは、ナチス・ドイツの全盛期であった1939年に著した「経済人の終わり」において、ファシズムの特徴を次のように指摘している。

ファシズムは、「権力は自らを正当化する」ことを自明のこととする。今日、このまったく新奇な説が広く受け入れられるにいたっていることほど、ヨーロッパにおいて全体主義革命がいかに進行してしまったかを示すものはない。実際、この教義こそ驚くべきイノベーションである。(中略) ヨーロッパの伝統に根ざしたあらゆる体制のなかで、権力の正当性こそ中心的な問題である。なぜならば、この考えにたつことによってのみ、自由と平等の概念、あるいはかつて正義といわれていたものを社会的、政治的な現実に結びつけることができるからである。そして自由と平等こそ、キリスト教伝来以来のヨーロッパにおいて、基本的な理念でありつづけてきたものである。

ナチスのスローガンともいえる「権力は自らを正当化する」とは、具体的には「ワイマール憲法の下、民主的な選挙を通じて国民がヒトラーとナチスに権力を与えたのだから、ヒトラーとナチスの行うことはすべて正しい」という論理を意味する。平たく言えば、会社や役所の上司が部下と議論するときに「自分が上司だから(=権力の座にあるから)、自分の言っていることの方が正しい」と言うのと同じである。

僕が専門とする公会計という分野では、「権力」の座にある政府の意思決定が正しいのか否か、すなわち「正当性」を「最大多数の最大幸福」とみなして数量化を試みる。「正当性」なき「権力」を振りかざす組織は必ず腐敗し、自壊する。国家であれば人類史上最大の悲劇を生みだし、あらゆる国民を不幸にする。それがナチス・ドイツの遺した歴史の教訓である。

自民党政権の末期は、「幼稚化する民主主義」を象徴するものだった。マンガばかり読んで漢字も読めない総理はその典型例である。民主党政権は、「政治主導」の美名の下、正当性なき権力を振りかざすことによって「自壊する民主主義」を象徴することになるだろう。

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